干し芋発祥の地はどこ?
今や全国の生産量の9割を茨城県が占めていると言われる干し芋。
しかし干し芋のルーツは茨城県ではないのです。
1766年に薩摩藩の船が駿河(静岡県)の御前崎沖で遭難した際、近くに住む村の人が船乗りの命を助けたことからお礼にと持ち込まれたのがサツマイモ。
この頃からこの村で初めてサツマイモの栽培が始まるのです。
干し芋の誕生はその後60年経ってから。
御前崎近くに住んでいた栗林庄蔵が、サツマイモを釜でゆでて包丁で薄く切り、セイロに並べて干した「煮切り干し」を作り出しました。
これが「干し芋」の始まりです。
「煮切り干し」は村人たちの間でも話題になり、競争するように作り始めたのだそう。
明治時代に入りさらに干し芋の製法が進化
明治時代に入った1892年頃、大藤村(磐田市)の大庭林蔵と稲垣甚七によってサツマイモを蒸してから厚切りにし、乾燥させるという「蒸切り干し」の製法が出来ました。
火を通す必要がない上、持ち運びにも便利、しかも片手で手軽に食べられて保存がききます。
栄養面で言ってもサツマイモの甘身が感じられてカロリーが多いことなどから、保存食として全国に広がっていったのです。
日露戦争では野戦食として「軍人いも」などと呼ばれたのだそうです。
こうして大正時代に入る頃には、静岡県全体の生産量が1万トン近くにまで達したと言われています。
戦後干し芋の生産日本一は静岡から茨城へ
干し芋の生産方法は1908年(明治41年)には静岡県から茨城県那珂湊(ひたちなか市)に伝わっていました。
戦後しばらくは静岡県の生産量が多かったものの、茨城県では県の推奨もあって干し芋作りに力を入れた結果1957年には茨城県の生産量は16,000トンにまで達しました。
静岡県は1953年をピーク(7,875トン)に年々減少。
ついに1955年には静岡県と茨城県の干し芋生産量日本一の地位は逆転したのです。
背景には、静岡県が干し芋に変わって収益の上がるメロンやお茶などの作付けに転換したこと、茨城県の水はけのよい土壌がサツマイモ作りに合っていたこと、漁師が副業としていたことなどから、干し芋生産日本一座が茨城県のモノになったようです。
日本各地で地域性の出る干し芋
今や茨城県産の干し芋が圧倒的なシェアを誇っていますが、日本各地には違った種類の芋を使ったり、呼び名が違うところまであります。
ちょっと変わった呼び名を調べてみると次のようになっていました。
・静岡県:「切干し、ほし、さつまいものほっしい」と呼ばれ芋の品種は「人参芋」
・山梨県:「さつまいもの切り干し」と呼ばれ芋の品種は「太白」
・三重県:「きんこ、きんこいも、にっき(煮切干)」と呼ばれ芋の品種は「七福」「隼人芋」
・滋賀県:「干し芋、いもするめ」と呼ばれ芋の品種は「弥高いも」
・香川県:「さつまいもの白切り(火を通さず生のまま干したもの)」「ゆで切り(さっとゆでてから干したもの)」
・熊本県:「蒸しこっぱ」生の芋を干したものと蒸かしてから干したものの2種類の干し芋がある。
・長崎県:「ゆでかんころ(ゆでて棚に干す限『ゆで干し』・ゆでてつるして干す『抜き干し』)」「白切り(生の芋を干したもの)」
他にも作り方の違いや地域性で呼び名の違う干し芋があります。
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