もなかの名前の由来は何?昔と今のもなかの違いとは

和菓子辞典

もなかという名前の由来は

「もなか」という名前の由来は平安時代にさかのぼります。
宮中で月見の宴をした時に源順(みなもとのしたごう)という歌人が「水の面に 照る月なみをかぞふれば 今宵ぞ秋の 最中なりける」詠んだのだそうです。(拾遺和歌集)
最中の月は十五夜の満月を意味するのだそう。
その宴で出された白い丸餅の菓子が丁度中秋の名月に似ていたことから、その餅菓子を見て公家たちが「もなかの月」と言ったことから、そのまま菓子の名前となっていったようです。
後に円形でないもなかが出回り始めてからは、「最中(もなか)」という名称に変わっていったようです。

現在のもなかの原型は江戸時代に起源をもつ

江戸時代の中期、吉原(浅草あたり)の「竹村伊勢」という煎餅屋で売り出されたのが現在のもなかの起源となる干菓子です。
「最中の月」というネーミングで、作り方はもち米粉に水を加え、こねたものを蒸し、その後それを焼いて砂糖をまぶしただけの干菓子。
まだこの頃はもなかにあんは入っていなかったのです。
丸い形の「最中の月」に対して、」四角い形で焼かれたものを「窓の月」と呼んでいたのだそうです。
ところが同じ江戸時代に現代のもなかのまさしく起源と言われるような菓子も登場しました。
それが「最中饅頭」です。
日本橋のあたりで販売されていたとの事ですが、干菓子「最中の月」であんを挟んだお菓子のことを指します。

明治時代以降もなかは様々な形に姿を変えて登場

明治時代以降になると、金型技術の発展によって従来の丸や四角い形だけにこだわらず、菊や動物などの金型に入れて焼くことで様々な形のもなかが登場し始めました。
1枚1枚、金型に皮種の生地をタイ焼きのように入れて焼くのです。
もなかの始まりの頃は、もち米の粉に水を入れて捏ね、その後蒸してうすく伸ばし、いくつかに切って半生状態で焼いたクレープのような生地に砂糖をかけた食感だったのが、時代とともに今でいうソース煎餅のような干菓子のようになり、さらに江戸時代にはあんをそこに挟むスタイルが出来上がったようです。
もなかが現在の皮種の形に仕上がったのは明治時代になってからなのだそうです。

現在の有名なもなかのスタイルは

現在売られているもなかはこれまでのあんを皮種に包んだオーソドックスなものからアイスクリームや栗、白玉を入れたものなどバリエーションも様々。
例えば滋賀県の近江八幡市に本社のある老舗「たねや」は関東や関西の百貨店でも数多く出店している人気の「たねや最中」を販売しています。
特徴は食べる人がいつでも作り立ての味を楽しめるように、あんと皮が別々に包装されている点。
あんの水分で皮のパリッとした香ばしさが失われないする工夫です。
たねやではあんの種類も求肥を入れたあんなどを販売しています。
さらに新橋の老舗「新正堂」の「切腹最中」は『自分の腹は切れませんが、代わりにこちらのお菓子が腹を切っております』という触れ込みで今やメディアで「お詫びの品」の1位に選ばれる名物商品となっているもなかもあります。

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