ぼうろの名前の由来や作り方の変遷を解説

和菓子辞典

ぼうろの名前の起源は

今や小さな赤ちゃんから高齢の方にまで親しまれているぼうろ。
このぼうろというネーミングの起源を調べてみました。
いくつか説がありますがまず丸い形であることからポルトガル語の「ケーキ(bolo)」からきているのではないかとする説、東方見聞録で東洋の日本のことを紹介したとされるヴェネツィアの商人「マルコポーロ」からきているのではないかとする説、ポルトガルの焼き菓子店「マルガリーデのボーロ」が起源となって日本の菓子とこの店の菓子を区別する意味で「丸ボーロ」と呼ばれ始めたのではないかとする説などがあり、はっきりとはしていません。
いずれにしてもポルトガルから南蛮渡来したことがきっかけでで伝来した菓子であることは間違いないようです。
ただ、

ぼうろはどうやって日本に伝わったか

日本に伝わったのは16世紀の江戸時代。
南蛮文化として様々な菓子などの食文化が日本に入ってきたころです。
ポルトガルからの船の乗組員にとっては長期間の航海の保存食として欠かすことのできない食材であったようです。
日本に来てからは和菓子職人によって日本人の味覚に合うように日本版のぼうろと変わっていったようです。
日本に伝わってからのぼうろの起源にもいくつかの説があります。
北島ルーツ説(佐賀藩の御用菓子司の横尾市郎右衛門が長崎在住のオランダ人から製法を習って完成させたとする説)、鶴屋ルーツ説(鶴屋の二代目の店主太兵衛が17世紀中期に長崎でオランダ人から製法を学んだとする説)、松月堂ルーツ説(備前国佐賀郡久保田村の松月堂がすでに製造販売していたとする説)などの説がありますが、いずれにしても佐賀県に日本のぼうろのルーツがありそうです。

ぼうろの材料や形は今と違っていた

南蛮から日本に伝わった当初のぼうろは今のように口の中でほろほろ溶ける感じの食感ではなく硬いクッキーのようなものだったようです。
小麦粉・砂糖・卵という基本の材料は日本と同じですが、長期の航海でも保存できるように、たんぱく質含有量が少ないポルトガル産の硬質小麦でしっかり焼き上げる必要があったためでしょう。
日本に伝来してからは、日本人の口の合うように軟質小麦である薄力粉をベースに使うようになり、ポルトガルのぼうろとは全く異なる菓子が誕生しました。
江戸時代の記録「古今名物御前菓子秘伝抄」では当時まだ卵も使用されていなかったようです。
徐々に胡麻や大豆なども使用され王冠や花びらのモチーフのぼうろも登場したようです。

人気のぼうろのお店は?

日本のぼうろの発祥の地と思われる佐賀県のぼうろは「丸芳露」「丸房露」という名前で販売されており、先程のルーツにも名前の挙がった鶴屋の「丸房露」も有名です。
今はオーダーメイドでぼうろに名前やメッセージを焼印するサービスも展開しています。
さらに、九州で修行を積んだ職人が小麦粉の代わりに蕎麦粉を用いてぼうろを作り、1630年に京都三条で寛永堂という和菓子店を創業した「蕎麦ぼうろ」も有名です。
まろやかに仕上げた黒糖風味と、くちどけの良さが評判の蜂蜜風味があります。
関東の方では「ぼうろ」というと小粒の「たまごボーロ」をイメージするのですが佐賀県の方はこちらの伝統的な「ぼうろ」をイメージする方が多いと聞いています。
なるほど、歴史的な背景を知ると納得ですね。

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