どらやきの名前の由来は?地域での名前や形の違いも紹介

和菓子辞典

「どらやき」という名前の由来はどこから来たか?

「どらやき」の名前は「銅鑼(どら)」という丸い楽器が名前のルーツではないかという説が一般的です。
諸説あるのですが、まずは平安時代の僧兵 武蔵坊弁慶が傷を負って世話になった民家の人に対するお礼として、小麦粉を水で溶いて銅鑼に薄く伸ばし、生地を丸く焼いてあんこを包んで贈ったという説です。
ただし、包んだとされる小豆餡は鎌倉時代になってできたものなので餡子を包んだ…という部分の下りは怪しい部分があります。
平安時代には養蜂が始まっていたそうなのであるいは蜂蜜を使ったのかもしれません。
他説としては、同じく弁慶が世話になったお礼に置いていった銅鑼で家の人が後に作ったお菓子から付いた名前ではないか、という逸話もあります。

江戸時代の「どらやき」は丸くなかった

江戸時代の頃に作られたどらやきは、現在私たちが知っている厚めのカステラ生地とは全く違う、クレープのように薄い皮を平鍋で作り、四角く形を作った餡を焼いたクレープ状の皮で下と側面を包むようにして食べていたようです。
今のどらやきと違い、片面は餡がむき出しということになります。
薄皮に餡子がドッサリ、しかも四角いとなると何となく「きんつば」にも似たような感じです。
今のような丸い皮に餡を挟むタイプのどらやきは明治初期になってから登場しました。
「梅花亭(1850年 東京 日本橋大伝馬町で創業)」の3代目店主 森田清兵衛が四角く包む生地を丸に変えて製造販売したのが今の丸いどらやきのはじまりと言われています。
ただ、現在のどらやきのようにふっくら丸みのある厚いカステラではなく薄めの銅鑼のような平らな生地に餡が挟まれていました。
梅花亭だは、いまだにその製法を守り、当時のどらやきの姿を思い起こさせます。
現在のようなふっくらしたどらやきは明治時代に入って西洋のホットケーキの文化が入ってから多めの小麦粉の使用でふっくらしたどらやきを作るようになったようです。

「どらやき」という名前を使わない地域もある

奈良県を中心とした関西の一部地域では「三笠(みかさ)」と呼んでいます。
どらやきの意味です。
今は閉店してしまっているのですが、かつて奈良には「湖月」という和菓子店がありました。
底の店主が直径が16cm、重さが500gという超巨大どらやきを作りました。
このどらやきに付けられた名前が「みかさ」です。
この名前は奈良県のシンボル若草山の別名「三笠山」からつけられたのだそう。
若草山は3つの山が美しく連なっていることからこのような別名が付いているのだとか。
いまだに、奈良県民の方は「みかさ」というと和菓子店「湖月」をイメージすると聞いています。
いまや奈良県のどこのお店でもどらやきは「三笠」の名前で出ています。

有名などらやきのお店は?

今やどらやきの餡もバリエーションが豊か。
菓匠「榮太郎」の生どらやきは北海道産の小豆に生クリームをミックスした餡が特徴です。
小豆のみならず、生クリームに胡麻・ラムレーズン・チョコレート・苺・レモン・栗・ずんだといったヴァラエティに富んだ味わいが楽しめます。
今や仙台銘菓となっています。
また、どらやきから派生した菓子としてのおススメが「蒸しどらやき」。
黒糖風味の蒸したカステラの生地に小豆クリームを二つ折りにして挟んだスイーツ。
新潟銘菓「河川蒸気」というネーミングで年間710,000個もの売り上げがあると言われています。
地域性豊かなどらやきを堪能してみたいものです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました